いつまでも残るもの
「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」。 コリント書一 12.31-13.13

「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない」。これはただ読むだけでも十分な言葉です。この愛は、人との関係でもこう語ります。「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」。
わたしは心が疲れたとき、心がとげとげしいと感じたときなど、この箇所を読むと落ち着きを取り戻していくことがあります。そしてもう一度やり直してみようという挑戦の気持ちが心の中に涌いてくるようでもあります。
人間にはさまざまな賜物が神から与えられています。預言や教える賜物、援助する賜物、管理や奉仕の賜物などです。けれどもそれらの賜物の前に、もっと根本的なものとして愛という賜物が与えられています。この愛を忘れたままでそれぞれの賜物を出しても、それは役に立ちません。ところが実際にはこの愛がないばかりに、せっかくの賜物が生かせないことがけっこうあります。語る言葉にすぐれていても、愛がないばかりに騒がしいどらや騒々しいシンバルに過ぎない。すぐれた知識に恵まれていても愛がないばかりに、人の徳を高めるのではなくただ高慢に映ってしまう。さらにはいかに多額の寄付を行ったとしても、愛が欠けているならば、自己宣伝にすぎず益とならないことなどです。
梅田にある紀伊国屋書店には、心理学者E.フロムの「愛するということ」がいつも平積みで置かれています。私が読んだのは1980年代ですが、その中で彼はこう述べています。「たくさん持っている人が豊かなのでなく、たくさん与える人が豊かなのである。何かを失うのではないかと心配して思い煩っている貯蓄型の人は、心理学的にいえばどんなにたくさんのものを持っていようとも、永久に貧しい人であり、自分自身を与えることのできる人は裕福な人である」。
愛は賜物であり、それはだれにも与えられています。この愛は神から遣わされた独り子イエス・キリストの愛にほかなりません。この方によって人は生きるようになりました。預言は廃れ、異言はやみ、知識もやがては廃れていきます。しかし愛は決して滅びることがありません。この世界にいつまでも残るものが三つあります。信仰と希望と愛です。今はすべてが鏡に映して見るようにおぼろにしか見えませんが、やがて訪れる主の日にははっきりと見えるようになる。その日までわたしたちの困難な歩みをつなぐもの、支えるもの、導くもの、それが信仰と希望と愛であり、その中で最も大いなるものは愛なのです。それが神からの賜物として、わたしたちだれにでも等しく与えられているのです。(高橋牧師記)

