神の指
「しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」。 ルカによる福音書11.14-23

ここに口が利けないという障がいを抱えた人がいました。聖書の時代、それは多くの場合悪霊にとりつかれていると思われていました。そこでイエスは彼を苦しめていた悪霊を追い出しました。するとその人が癒されてものを言い始めたので、人々は驚きました。ところが中には「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者がいました。ベルゼブルとは「悪霊の頭」のことで、同じように悪霊です。つまりイエスは悪霊の頭であるベルゼブルの力で、悪霊を追い出しているのだ。だからイエス自身も悪霊にとりつかれた仲間だというわけです。
この話は現代のわたしたちにとって理解しにくい内容の一つです。いったい悪霊とは何か。最近亡くなった作家の加賀乙彦さんの著書に、「悪魔のささやき」があります。この方は精神科の医師でもあります。この本の中で、人間は意識と無意識の間のふわふわとした心理状態にあるとき、犯罪を犯したり、扇動されて一斉に同じ行動に走ってしまうと述べています。その実行への後押しをするのが、「自分ではない者の意志」のような力、それを「悪魔のささやき」と言っているのです。著者が数多くの死刑囚と面談をした経験から、また戦前の日本軍国主義の集団性やオウム真理教事件などを分析した結果からの主張です。それを読んでいますと、悪魔とか悪霊という言葉を使うか使わないかは別にしても、そのように人間には分からない、自分でも理解できない闇のような力が今でも働いていることを知らされます。
イエスがこの障がい者を癒されたとき、そして人々が悪霊の頭によって悪霊を追い出したのだと言ったとき、「わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」と言われました。今は悪霊の支配する時ではなく、神が支配する時なのであり、それがイエスにおいて実現したのだというのです。
病める者、苦しむ者、悩みの中にある者が癒されている今、それは悪霊の支配ではなく、神の国が到来している時なのです。確かにわたしたち人間は、自分自身でさえ制御できない様々な闇の力から今も攻撃を受けています。それは社会全体についても言えることです。それにもかかわらず、イエスが神の指、すなわち神の霊によってそうした悪の力、誘惑の力を追い払い、恵みの支配へとわたしたちを導いてくださっているのです。
いと高き神の御子があえて人間の姿をとり、僕として歩まれました。わたしたちのために、罪と重荷を背負って十字架に向かってです。罪ある人間は決して主となることも、自分自身の救助者となることもできません。キリストから離れてそのように思うとき、そのように振る舞うとき、むしろますます自分から離れていってしまい、助けなき自分を歩まざるをえないからです。それがキリストの受難という鏡から映し出される人間の姿です。わたしたちはキリストの恵みから離れてひとかどの人間になろうとか、なれるとかといった誤った道から離れて、わたしのために歩まれたイエス・キリストを見上げつつ、主に自らを委ねつつ歩んでいきたいと願います。今は悪でなく、神が支配する恵みの時なのですから。(高橋牧師記)

