約 束
「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」。 ルカによる福音書24.44-53

イエスは復活の後、弟子たちに幾度かご自身を現されました。ここでも「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する」(44節)と言われ、聖書を説き解き明かされました。
イエスについての事柄は旧約聖書の中に示されているのですが、それでも理解するためには聖書があれば十分というのではなく、もう一つの働きを必要とします。それが聖霊です。聖書を読む場合、それが生きた神のみ言葉として自分の内に入るためには聖霊が必要なのです。45節に「イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いた」とありますが、これこそが聖霊の働きによるものなのです。聖書がよく分からないとか、自分に語られたものとしてなかなか身に着かないとか、その他いろいろな疑問があるかもしれません。そのために聖書事典や注解書を開くことは助けとなりましょう。しかし最終的に助けとなるものは、聖霊の働きなのです。自分の理解力が足りないといった頭の問題というものではなく、心の問題なのあり、その心の目を開くのが聖霊なのです。努めて聖書に親しむということを大切にしつつ、あわせて聖書を読むときに自分のかたくなな心が打ち砕かれ、心の目が素直に聖書に開かれていくよう、聖霊の働きを祈るべきなのです。
「心の目を開く」また「心の目が開かれる」。今のこの世界は、そして私たちの生活には多くの問題があり、闇に覆われています。そこには戦争があり、暴動・暴力があり、貧困、格差があります。まさに愛よりは憎しみが支配する世の中であり、そこから痛みや悲しみが生まれ、結果として希望を見出しにくい世の中となっています。
今わたしが心を痛めていることの一つにヤングケアラーの問題があります。カタカナで言えば余り深刻さが伝わって来ないかもしれませんが、実態は困難に満ちています。これはつまり介護、しかも高校生以下の若者、子どもがケアをする状態であり、その介護をする彼らをヤングケアラーと呼んでいます。家族の中に病気がちの親やきょうだいがいる場合、本来保護を必要とする子どもが逆に介護をする現状です。そのために学校にまともに行けない。行っても疲れていて授業に集中できない。クラブ活動や友人との遊びもできない。家でしなければならない事がいっぱいあるからです。食事の準備、洗濯、親やきょうだいの世話等々。今年度より政府に「こども家庭庁」が発足しましたが、ぜひこうした実情に手を差し伸べてほしいと思っています。
わたしたちには祈ることができます。どんな困難に直面しても祈ることは許されています。アッシジのフランチェスコがこう祈りました。「痛みしかないところに赦しを、悲しみしかないところに喜びを、暗闇しかないところに光を、疑いしかないところに信仰を与えてください」と。それを可能にするのが聖霊です。その聖霊の働きにより、わたしたちの心の目が開かれ、復活のイエス・キリストによる罪の赦し、生きる希望と様々な困難を乗り越えていく力が与えられるのです。その聖霊を神はわたしたちに与えてくださると約束してくださり、今実現しているのです。(高橋牧師記)

