まことの富
「もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです」。 テモテへの手紙一6.2-10

ここテモテへの第一の手紙には、金銭の欲と関連して「まことの富」とは何か、現代風にいえば「豊かさとは何か」ということについて示唆を与えてくれます。それは信仰と深く関係しています。ご利益信仰は日本的なものですが、それは聖書の時代にもありました。「信心を利得の道と考える者」がいたからです。けれども信仰が地上的な利益と結びつくほど、人生は単純ではありません。たとえばユダヤの古い言葉に、「不幸な目に遭って、幸せを見つける人もいれば、思わぬ幸運に巡り会って、損をする者もいる」とあるようにです。
信仰は地上的、物質的な利益とは必ずしも結びつかなくても、わたしたちにとって有益であることに変わりはありません。それは6節でも述べられています。「信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です」と語るように、「足るを知る」ことができるのは、そこにすでに信仰による恵みが働いているからです。健康とか病気などを初めとした順境・逆境を超えて、それらに左右されない豊かさがそこにはあるからです。
そもそもわたしたち人間の一生、その始まりと終わりは裸です。人は裸で生まれ、また裸で帰る。冒頭の聖句が語るようにです。これは旧約のヨブ記にも出てきます。主人公ヨブがもっとも苦しい時に言いました。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」。さらに「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」とも述べています。
先週の18日は「敬老の日」でした。現在100歳以上の高齢者が92000人になったそうです。平均寿命は男女ともに80歳を越えるようになっていますから、これからまだまだ増える傾向にあります。それはすばらしいことですが、あわせて健康寿命も注目されています。現在の健康寿命は男性が72.7歳、女性は75.4歳だそうです。こうしたこともまた信仰者にとってはいっそう感謝となり、さらには寿命の長さ短さを超えて神の導きを知ることができるのは、大きな恵みでもあります。
わたしたちは何を食べようかなど、地上の生活のことで心の多くが占められています。けれどもわたしたちを母の胎から生れ出でさせてくださった創造の神は、それ以外にもわたしたちに必要なものを与えてくださらないはずがありません。わたしたちは与えられた目の前の物にのみ目を向けるのではなく、このような者を生かし、導いてくださる神にも目を向けることが必要なのではないでしょうか。それこそが神の前で豊かになることなのです。「食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです」と聖書は慎ましい生活を語っています。現代ではそれだけでは生きていけないかもしれません。しかしそこで示されていることは、どれだけ多くの物を持つかによって幸福が得られるというのではなく、信仰によって生きることが最も重要だということなのです。「信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道」なのです。(高橋牧師記)

