主は我らの正義

 「見よ、このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え この国に正義と
恵みの業を行う」。  エレミヤ書23.1-6

 「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」と預言者エレミヤは厳しい口調で言いました。本来、牧者とは羊の群れを集め、養い、安全な道へ導くのが務めであるにもかかわらず、反対にその群れを滅ぼし散らしていたからです。当時の社会の支配者たちは、北のバビロンについたり、南のエジプトに援助を求めたりと、優柔不断な政治を行っていました。そして一般の人々は捨てておかれました。指導者たちが神を信頼して畏れるよりも、人を恐れていた結果です。

 指導者たちの不信仰のもと、人々は苦しみにあえいでいました。これは現在でも同じです。一人の権力者によって、あるいは権力を持つ複数の人々によって、どれだけ一般の人々が被害を受けているか。それはウクライナでも、ガザでも同様です。人々はただあてもなく逃げ惑うばかりといった姿を、わたしたちはほぼ毎日テレビ等で知らされています。

 最近、たまたまネットのYouTubeでD.ボンヘッファーの映画を見ました。ボンヘッファーは牧師・神学者であり、ナチスドイツのヒトラー時代に生きた人です。彼の思想は日本の教会にも大きな影響を与えています。彼は多くのドイツの教会がヒトラー政権に従っていく中で、教会の真実の在り方としてその方向に反対し、抵抗しました。最後はヒトラー暗殺計画に彼の名前が発覚、裁判を経て死刑となりました。ボンヘッファーはこのようなことを言っています。もし道端で遊んでいる子どもたちに向かって暴走してくる車があれば、牧師としてはその子どもがひき殺されるまで待って、その後慰めの言葉を語り、葬式を司るだけが牧師の務めだろうか。そうではなく、その子どもを守るため、その暴走車の前に立ちはだかって止めることではないか。ボンヘッファーの作詞した讃美歌が一つだけ収められています。讃美歌21の469「善き力にわれかこまれて」で、これはYouTubeでも聞くことができます。

 主なる神は自分勝手に振る舞う支配者たち、その牧者たちの罪によって苦しむ人々に目を向けておられました。そのため追いやられた人々を再びもとの牧場に帰らせるために、彼らのためにまことの牧者を立てようとされました。「見よ、このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす」。風前の灯のように滅びゆくユダ王国にあって、そして希望を抱けるようなものが何も見当たらない中にあっても、「若枝」を指し示したのでした。それがまことの救い主でした。

 次週からアドベントに入ります。現在のウクライナ、ガザは言うに及ばず、まことの指導者、飼い主のいない混乱したバラバラなこの世界にあって、一人ひとりの生活は不安に満ちています。将来のこと、病の心配、家族や職場における人間関係など、いろいろ思い煩うことが多い毎日です。まさに「わたしの助けはどこから来るのか」いうように打ち沈んだわたしたちの心ですが、しかしそこから必ず新しい若枝が生まれ、希望が与えられることを預言者エレミヤはわたしたちに語るのでした。待ちつつ、忍耐しつつ、救い主の誕生を待ち望みたいと願います。(高橋牧師記)