廃墟に喜びの声が

 「いかに美しいことか 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え 救いを告げ
 あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる」。   イザヤ52.1-10

 預言者イザヤの時代、ユダヤの民は50年にわたるバビロンでの捕囚の生活を強いられ、身も心もボロボロになっていました。そのような人々に向かって、「力をまとえ、シオンよ。輝く衣をまとえ」と励ますのでした。新しい救いの時代がやってきたからです。それでもこの間、異国の支配を受けて廃墟同然となった都、そして人々が被った苦難はあまりにも大きすぎました。精神的支柱であった神殿や人々の住んでいた家、土地・畑が荒れただけでなく、それと同じように彼らの心も打ちひしがれていたからです。

 この廃墟という言葉から、わたしたちは現在のウクライナやガザを思い浮かべるのではないでしょうか。まさにテレビで映し出される彼らの町々も廃墟同然です。あのようなビルを建てるのに、どれだけの労力、時間、費用がかかったかを想像します。それらが近代戦では空爆やミサイルで一瞬に破壊されてしまう。廃墟となっているのは建物や町だけではありません。彼らの心も廃墟同然となり、そこでどれだけの涙が流され、心が深く傷ついているかを思います。

 そのような打ち沈んだ人々のもとへ、良きおとずれを伝える伝令が走ってきました。その様子をイザヤは生き生きと描いています。「いかに美しいことか 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え 救いを告げ あなたの神は王になられた、と シオンに向かって呼ばわる」。遠いバビロンの地から伝令が良い知らせを携えて、こちらに向かって来る。砂漠の中を、また山々を行き巡って。多くの人々がかの地で解放され、帰ってくるという知らせを持ってです。その良い知らせは、まさに平和の知らせであり、恵みの知らせであり、救いそのものでもありました。

 その伝令は黙って走ってきたのではありません。大きな声を出しながら、この喜びの知らせを伝えたのです。そのときエルサレムには火の見やぐらのように高い城壁の上から、遠くを見つめていた見張りがいました。彼はまだ米粒ぐらいにしか見えない遠くから走ってくる伝令の姿、そしてやがてその声にも気づきます。「その声に、あなたの見張りは声をあげ 皆共に、喜び歌う。彼らは目の当たりに見る 主がシオンに帰られるのを」。するとその伝令の後ろから主ご自身が民を伴ってやって来るのが見えました。喜びの歌を歌いながら。これこそがアドベントの中にあって、主イエスの誕生を待ち望む姿でもあります。

 イザヤは別の箇所で、このように主を待ち望む喜び、希望を語っています。「若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが 主に望みをおく人は新たな力を得 鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(40.30-31)。今、新たな力と喜びが今こちらに向かって訪れようとしています。まだその姿も声も、気づくにはほんとうに小さなものかもしれない。それでも確実にこちらに近づきつつあるのです。ローソクに1本ずつ光を増やしながら、その希望の時を迎えたいと思います。(高橋牧師記)