先立って歩む者
「彼は父の心を子に 子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもってこの地を撃つことがないように」。
マラキ書3.19-24

マラキ書の一番最後の箇所、それはまた旧約聖書がどのような言葉で閉じられているかでもあり、次につがなる新約時代への希望という余韻を残して筆をおいているように見えます。「見よ、その日が来る。炉のように燃える日が。高慢な者、悪を行う者は すべてわらのようになる」。これは主イエスの誕生であるクリスマスを遠く指し示した言葉と受け取ってよいと思えるからです。
クリスマスというイエスの誕生物語には、いつも並行してバプテスマのヨハネの誕生も語られています。バプテスマのヨハネはイエスに先立つ者として、新約聖書に記されています。そのヨハネはエリヤの再来と言われました。それならエリヤの再来であるヨハネの働きは何でしょう。それは福音書が語っているように、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせることです。また彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意することでした(ルカ福音書1章)。ちょうどわたしたちが大切なお客さんを家に迎えようとするなら、家の中をきれに掃除をしたり、飾りつけをしたりするものです。また迎えるときの心も、普通とは違って今か今かと少しばかりの緊張を伴って楽しみながら待つのではないでしょうか。クリスマスを待つ、そしてクリスマスを迎えるというのは、このようなことなのです。そのためにヨハネは悔い改めの心をもって主に立ち帰ることを教えたのです。わたしたちの心がデコボコとした道のように荒れてはいないだろうか。もしそうならそれを平らにして、主に向かって整えていきたいと思います。
ドイツで長く首相を務めた人にメルケルさんがいます。この方は牧師の家庭に生まれた人で、キリスト教の集まりでもよく講演をしています。それらをまとめたものとして、「わたしの信仰」というタイトルで本が出版されています。一人の信仰者として、ドイツだけでなくEU、それに世界の指導者といろいろな人と渡り合わなくてはならない大変ハードな務めをこなしました。現在ではドイツでも教会離れが進み、教会なしでもキリスト者として生きていけると考えているが多くいるそうです。しかしメルケルさんはそれは幻想だと言い、礼拝を中心とした生活の大切さを語るのです。政治という行き先の分からないような世俗の世界の指導者として、キリスト教の信仰、礼拝がいかに大きな働きをしているかを語っているのです。
この世界にはさまざまな矛盾があります。わたしたちにもいろいろな思い悩みがあり、ときとして神を信じる信仰より大きくなって、ちょうど茨が良い種に覆いかぶさってしまうようなことさえあります。そのような不安で荒れた心を整えて、主イエスをお迎えできるよう道を平にしていきたいと思います。どれだけ暗い世の中であっても、「あなたたちには義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある」とマラキは言いました。その救いの到来を待ち望むことによって、希望の光がわたしたちに注がれます。そこから与えられる勇気は、わたしたちがどのような困難に直面しても乗り越えていく力となっていきます。(高橋牧師記)

