立ち直るペトロ
ペトロは、イエスが三度も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった……イエスは言われた。「わたしの羊を飼いな
さい」。 ヨハネによる福音書21.15-25

食事を終えたときのことでした。イエスはペトロに尋ねられました。「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」。ペトロは答えます。「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」。そこでイエスは命じられます。「わたしの小羊を飼いなさい」。このやり取りはもう一度、さらには三度もなされました。「三度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか』」。
ここまでくると、ペトロは自分の痛い過去を思い出さずにはいられませんでした。「主よ、あなたのためなら命を捨てます」と公言したペトロが、鶏がなく前に三度イエスを知らないと言ってしまったことをです。このことはペトロの心に傷として残っていました。イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった」のはそのためです。
わたしたち人間の心の中には何らかの傷、罪悪感を伴う重荷といったものが大なり小なりあると思います。それらが解消されるには、時間が経過するのを待つなかで癒えていく場合があります。あるいはそうした傷をもたらした原因を思い出さないよう、できるだけそうした出来事から距離をおくことも解決の一つかもしれません。能登半島地震の被災者の方々は、今もさまざまな苦しみや悩み、不安を抱えながら生きておられます。わたしは以前東日本大震災に関する幾つかの本を読みましたが、そこに「サバイバーズギルト」という言葉を目にしました。「自分だけが助かってしまって申し訳ない」といった罪悪感のことです。これも被災者の苦しみの一つです。あの地震・津波のなか、遺された人々の中には「あの時ああしていれば」という後悔や、「救えなかった自分が悪い」という自責の念が一緒になって、この「サバイバーズギルト」と呼ばれる罪悪感が内からこみ上げてくると報告されています。様々な感情に襲われて、突然涙が溢れてきたり、吐き気を催したり、現実感を持てなかったり、不安で眠れなかったり、あるいは急に大声で叫びたくなったりすることが、自然な身体的反応として起こりうるのです。
ペトロにとっては、イエスを裏切ったことが傷となって癒されないまま残っていました。そこでイエスはもう一度あの時点に立ち返って、そこから再び始めようとされたのではないでしょうか。決してイエスは意地悪をしておられるのではありません。ペトロはイエスによって受け入れられ、もう一度新たに使命が与えられることによって傷が癒されていったのです。それがイエスの包み込む愛です。後にペトロは自らの手紙の中で、「愛は多くの罪を覆う」と記しています(ペトロ一4.8)。傷を負い、自信を失くしていたペトロに対し、「わたしの羊を飼いなさい」との使命が与えられました。もう一度チャンスを与えてくださったのです。かつての失敗や罪にひとことも言及したり、責めたりしてはいません。そしてイエスご自身の大切な羊を任せられたのです。再びやり直せる、こんな自分だが主イエスは自分を必要としてくださっている。これ以上の癒しはどこにあるでしょうか。イエスの包み込む深い愛と、新たに与えられる使命。その働きへの招きによって、失意のなかにあったペトロを立ち直らせ、自信を与え、そのなかで傷が癒されていったのです。(高橋牧師記)

