真理の霊
「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたし
について証しをなさるはずである」。 ヨハネによる福音書15.18-27

イエスが天に昇られるに際して、幾つかの大切かことを弟子たちに語られました。その一つは迫害の予告でした。そして今一つはそれにもかかわらず彼らを励ます約束の言葉です。イエスは言われます。「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい」。実際イエスは世から憎まれ、排斥されました。それはイエスの後に続こうとする弟子たちも同じだということです。さらにはその後のすべての信仰者にもあてはまると言えましょう。
もちろん今日のような近代社会においては、思想・信条の違いからくるあからさまな暴力や迫害があるわけではありません。けれども歴史を見れば今日のような自由はめずらしいことで、多くの場合信仰の自由には迫害が伴っていました。
それは今日でも見られ、宗教的な対立から憎しみが生まれ、暴力、戦争も起きています。現在、パレスチナでの戦争があります。非常に残酷で、今のところ誰も止められません。歴史的、政治的な原因、民族的な対立、さらには宗教的な対立などが複雑に絡み合っているようです。そのようななか、何とか停戦、平和にこぎつけてほしいというのが世界の人々の願いです。
イエスは言われました。「あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した」。この場合の「世」とはどのような世のことでしょう。ここでいう世とは、この世界という単純な意味ではなく、神の敵対する力であり、肉の世界であり、罪に支配された世ということです。
こうした世に信仰者は属していないし、属してはなりません。それならわれわれはどこに属しているのか。イエスは言われました。「わたしがあなたがたを世から選び出した」。信仰者は世に属する者として、この世界で生きていくのではありません。そうではなく世に属さない者、この世から選び出された者として、この世の中を生きていくのです。
それゆえイエス同様、信仰者もさまざまな逆風に見舞われることがあります。それでも耐える力が与えられています。それが聖霊の約束です。イエスが弟子の前から見えなくなったとしても、それで弟子たちと共にあることをやめられたわけではありません。イエスは別に弁護者、すなわち真理の霊を送って、いつまでも共にいてくださるからです。「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来る」。弁護者、それは助け主、あるいは慰め主でもあります。また伴走者でもよいと思います。陸上競技の視覚障がい者と一緒に走る人です。互いに紐で手を結んで、コースを間違えないよう、転ばないように一緒に走る人です。それが「真理の霊」なのです。わたしたちの生涯は思いどおり行かないさまざまな困難に満ちています。どうしてよいか分からなく、道に迷うこともあります。それでも弁護者、助け主としての聖霊が共におられることを忘れてはなりません。それが真理の霊であり、わたしたちが願っている以上のこと、わたしたちにとって最もふさわしい道へと導いてくださるのです。聖霊は伴走者としていつも共に歩いていてくださいます。(高橋牧師記)

