勇気を出しなさい
「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」。 ヨハネによる福音書16.25-33

イエスが弟子たちの前から去っていこうとしておられたこと、それは弟子たちにとって取り残されるという不安に襲われるときでもありました。そこでイエスは言われました。「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」。
平和であるとは、苦難がなくなることではありません。この世界には一方で平穏な地域がありつつ、他方ではさまざまな紛争が今も繰り広げられています。わたしたちの身近な日々の暮らしの中でも、平安なときもあれば、さまざまな悩みや心配事もあります。そうした中でイエスは平和を約束してくださいました。その平和とは、「わたしによる平和」とあるように、イエスにおける平和、イエスと共にある平安です。
わたしはカナダに住む友人から一冊の讃美歌を取り寄せました。カナダ合同教会の讃美歌です。そこには「使徒信条」と合わせて、カナダ合同教会が採択した「新信条」も入っています。その告白は「わたしたちは独りではない」から始まっていて、最後にもう一度「わたしたちは独りではありません」で閉じられています。まさに現代の社会に向き合ってできた信仰告白だと思います。信仰心がなくなり、それと共に人と人とのつながりも希薄になっている現代社会にあって、もう一度、キリストがわたしたちを決して独りにしておかないという信仰だからです。 「
あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」。この勇気を出しなさいとは、言葉だけの励ましではありません。「がんばれ」という励ましの言葉が、ときどき論議の的になっています。スポーツをしている元気な若者に向かって「がんばれ」とか、「勇気を出せ」という言葉は、ある場合には励ましになることでしょう。しかし心身共に疲れている人に向かってこうした言葉は、励ましよりも酷な場合があります。ここでの「勇気を出しなさい」という言葉は、「わたしは既に世に勝っている」という事実に基づいています。あなたのがんばりによるのではなく、イエスが既に勝利されたその勝利につながることによって、勇気を出しなさいと言われたのです。なぜならイエスの勝利はご自身だけでなく、わたしたちのための勝利でもあるからです。しかもその勝利は将来のことではなく、「既に」勝ち取られた勝利です。悩みと苦難の多いこの世の中において平和を保てるのは、そして勇気を出しなさいという言葉を聞いて励むことができるのは、このわたしたちに代わって勝利されたイエスにつながること、その主を信じることによって可能なのです。もうわたしたちは独りではありません。勝利されたイエスがいつも共にいてくださっているからです。「この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされたのです」(ガラテヤ5.14)とあるキリストの勝利が土台です。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい」と言われた主。その勇気とはがんばれ、がんばることができるといった勇気ではなく、既に世に勝っていると言われるキリストの勝利によるものです。その勇気が今わたしたちに与えられています。(高橋牧師記)

