信仰による勝利
「世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」。 ヨハネの手紙一5.1-5

毎年8月第1聖日は、教団で「平和聖日」と定めています。平和はいつでも私たちが願い求めているものですが、特に今から79年前の1945年、それは広島と長崎に人類初めて原爆が投下されたこと、そして第二次大戦が終了して、もうあのような悲惨な戦争は起こさないとの思いから8月に定められました。この日には教団と在日大韓基督教会総会連名で「平和メッセージ」が発表されます。今年のメッセージは大きく4点を中心に平和が祈られています。一つはパレスチナ紛争、二つ目は日韓の歴史認識、三つ目は台湾などを含めたアジアの平和、そして最後の四つ目は原発依存からの脱却です。それ以外にもいろいろな問題が現在発生していて、どれも解決は容易ではありません。それらがわたしたちの命を脅かしているのです。
イエスもわたしたちに平和を語っておられます。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16.33)。確かに今もわたしたちには個々にいろいろな悩みや苦難があります。また地球規模としては、「平和メッセージ」で訴えられているような問題があり、そうした諸問題は一人の力でどうすることもできないものです。けれどもわたしたちが信じている主イエスは、既に世に勝っているお方です。その信仰に留まっている限り、いかなる苦難に見舞われても決して沈むことのない船のように、必ず乗り越えることが主にあって可能になるとの確信するものです。
それを信仰による勝利と呼び、ヨハネの手紙は次のように言いました。「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です」。ここでいう「世」とは、ある特定の国家とか政治権力のようなものではありません。またその他、地上の目に見える力だけを言うのでもありません。そうではなく、ここで語られている世とは、罪と肉に支配された世界のことであり、それは確かに外から攻撃してくる権力や力のこともありますが、またわたしたちの内面から襲ってくるものでもあります。従ってこの世とは、わたしたちの中にも存在しているのです。それに信仰は勝利したのでした。もはやわたしたちは目の欲や肉の思いに振り回されるのではなく、神の霊に導かれた者として生きていくのです。
信仰者に与えられた勝利。現在パリ・オリンピックが開かれています。そこでもまた勝利という言葉を幾度となく耳にしています。わたしたちもまた別の意味で、つまりキリストにあって永遠の勝利者です。それはこれまでの打ち沈んだ心から喜びへと導かれる勝利でありましょう。孤独や寂しさから兄弟姉妹たちとの交わりへと導かれる勝利でもあります。虚栄や偽りから真理へと至る勝利。罪の支配から義の支配への勝利、貪欲に振り回された生活から自由への勝利、疑いや不安から確信の勝利、憎しみから愛と赦しの勝利、そして一時的な過ぎ去る日々と死から永遠の命の勝利です。それこそが世に打ち勝つ勝利、信仰によるものです。もちろんそうした勝利はわたしたち自身の力や能力から来るものではなく、イエスが神の子であると信じる信仰から与えられるものであるのは言うまでもありません。それが今わたしたちに賜物として与えられています。(高橋牧師記)

