その道を教えてください

    イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」。  ヨハネによる福音書14.1-11

 「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」。イエスは「あなたがたのために場所を用意する」と言われました。場所、それはどんな場所でしょうか。新年度が始まり1か月半が過ぎました。幼稚園(保育園)・小学生から社会人に至るまで、それぞれ自分の場所を新たに築こうと毎日一生懸命だったと思います。友だち関係、初めての仕事、また新たな環境に慣れるためにです。それはまた自分の場所を見出す、また作るということでもありましょう。自分の帰るべき場所がある。それは心癒される場所であり、家庭もその場所の一つです。また自分の行く場所がある、必要とされる場所、これも重要です。反対に帰るべき場所がないのは寂しいことですし、職場や地域などにおいて自分を必要としてくれる場所がないのはつらいものです。  

 わたしには子どもが3人います。今はすべて独立し各々家庭を構えています。当たり前のことですが、最初は夫婦2人、いや親から離れて1人でした。50年以上も前の話です。それから1人増え2人増え、長い年月をかけてちょうど根っこが絡み合うように5人家族として歩んできました。今度は再び独立するため1人離れ、2人抜けていきます。そしてまた2人になりました。それは絡み合っていた根に隙間が出来るわけですから、そこにひんやりとした隙間風を感じざるを得ません。そのためまたその隙間を埋めるべく、新しい場所を形作っていかなくてはなりません。もっともわたしはまだ忙しい現役ですから、こうした感慨にふけるほど十分な時間があるわけではありません。確かに最後は、出発したときのように再び1人を経験しなくてはならないのでしょう。いずれにせよ、わたしたちの生涯は、いろいろなものを形作り、またそれを失っていく中で、絶えず自分にふさわしい場所を新たに作り続けていかなくてはならないのです。それは大変な作業です。

 その場所に至る道を弟子のトマスが尋ねたとき、イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」と言われました。主は道や真理について教えることができると言われたのではありません。ご自身が道だと言われたのです。それはわたしたちの生涯の始めであり、途中であり、終わりのすべてを覆うものです。だからこそこの道は真理なのであり、命があるのです。この世界にはもっともらしい正しさはあります。何年かの間は人を引き付けるほどの正しさはあるかもしれない。けれども初めから終わりまで一貫した正しさはありません。イエスの歩まれた十字架への道、そして復活で示された道以外に道はありません。イエスご自身にのみ、真理と命があるのです。「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」。言い換えれば、この道であるイエスに連なるならば、だれでも真理と命に、そして変わることのない場所に与ることができるのです。心騒ぎやすい日々の生活にあって、わたしたちを招いてくださる主イエス・キリストに自らを委ねることが、だからこそ重要なのです。(高橋牧師記)