自分のことだけでなく

    「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい」。  テモテへの手紙一 2.1-7

  わたしたちにとって祈りの範囲はどのあたりまででしょうか。自分のことは当然として、自分の家族のことはだれでも祈っています。自分の属する教会の仲間もそこに含まれているでしょうし、さらには全国の教会も。「すべての人々」とはそれだけにとどまりません。「王たちやすべての高官のため」にも祈りなさいとあります。当時の王とはローマ皇帝であり、そこに仕える高官のことです。教会に好意的な人々であろうと、そうでなかろうと、彼らのために執り成しの祈りをしなさいというのです。本日は参議院選挙投票日です。信仰者の祈りに「王たちやすべての高官のために」が含まれているゆえ、具体的な行動の一つである投票という政治参加につながっていくものです。このように全世界が祈りの対象です。わたしたちのたとえ小さな食卓や寝床の片隅でなされる祈りであっても、世界のすべての人々、すべての事柄を覚えて祈るには十分は広さなのです。  

 礼拝順序の中で、7番目に「牧会祈祷」があります。その祈りに関して、教団の式文には次のような一節が盛り込まれています。「わたしたちの国を守り、あなたの平和をいつまでも保たせてください。政治に当たる者が真理と公平とをもってみ心を行い、国民が自由と責任とをもって日毎のわざに励み、世界の国家と民族とがあなたをうやまい互いに信頼しつつ、神の国を待ち望むようにしてください。貧しい人、囚われ人のために、病める人、死に臨める人のために、旅行者、航海者、航空者のためにも祈ります」。この祈りでわたしが思い出すのは、マーク・トウェーンの「トム・ソーヤーの冒険」の一場面です。トムが礼拝中退屈しのぎに前の席の背中のところにいる虫に興味を抱いていたとき、牧師が実に行き届いた祈りをしているのを耳にします。今の式文にあるような祈りで、旅にある者、難民、東洋の専制政治が民主的になるよう為政者のためにも祈っていたからです。この頃の日本は明治時代に入ったばかりでした。

 なぜこのような祈りがわたしたちに必要なのか、可能なのか。その理由が二つ記されています。一つは「神はすべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられ」るから(4節)。わたしたちが教会の今いる人々だけに目を向け、そこだけで信仰を語ろうとしがちなのに対し、神は教会の外にも、全世界にも目を向けるように勧めておられます。すべての人々のために祈る理由の二つめがこれと関係しています。それは「わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです」(2節)。信仰生活には、わたしたちを取り巻く環境が悪くなり、たとえ嵐のように吹き荒れたとしても、その中で心の平安を保ち、さらにはその逆境に打ち勝つ力が与えられる面があります。けれどもまた別の点から言えば、戦争とか暴力、迫害が起きない平和な世の中、そのように政治経済が安定して、人々が落ち着いた生活ができるようにすることも信仰の目的です。紛争や不正義によって苦しむ人々が生れるのは、神のみ心ではありません。そのためにわたしたちは公平な政治のために祈る。なぜなら神はすべての人々の主であり、イエス・キリストの贖いによって救いへと導かれているからです。わたしたちはキリストの信仰と真理を、祈りながら証ししつづけていくのです。(高橋牧師記)