古いものは過ぎ去った
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」。 コリントの信徒への手紙二 5.11-21

パウロは新しさについて語りますが、その新しさとは何でしょうか。たいていわたしたちは新しさを、暦の上での新しさとして考えがちです。昨日より今日、去年より今年の方が新しいと。しかし暦の上で自動的に得られるものでなく、それはもっと質的なものなのです。ある人が言いました。「新しいものは古いものよりも進歩していると信じないことは、実に大変困難なことである」。今年よりも去年のほうが、また18世紀のほうが21世紀よりも新しかったこともあるでしょう。それは個人的なことも同様で、若者は高齢者より時間的には新しいですが、それとは別に内的には必ずしもそうとは言えないものもあるということです。
「キリストと結ばれている人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(17節)と聖書は語ります。ここでの大切なことは「キリストと結ばれている」かどうかです。それは時の古い・新しい、若い人・高齢の人といったことで量られるのではなく、もっと内面的、質的なことなのです。従って聖書が書かれた2千年前にも、すでに今日と同様の新しさがあったということです。
近年、死の準備教育といったものが、学問として話題となっています。その分野の草分けの一人に、故アルフォンス・デーケンさんがいます。彼は人生の年齢には3つの面があると言います。1つは生活年齢、これはいつ生まれたかによる暦の上での年齢で、だれでも誕生日が来れば必ず1つ年を取る。それは自分でコントロールすることができません。第2は生理年齢。健康状態による年齢です。これは健康管理を上手にすれば、かなり生理年齢をコントロールすることができます。しかし何よりも重要なのは第3の心理年齢です。人はいくら年を取っても、心理年齢の面ではいくらでも若さを保つことができると言います。いくつになっても自分の考え方によって、心の中の若さを持ち続けることができるのです。だから自分はもう年だからダメとあきらめてしまわずに、前向きに生きることが重要だと言います。デーケンさんは潜在的能力の可能性という言葉をよく使います。神から与えられているタラントなのですが、人間はそれをわずかしか使っていません。自分自身課題を設けてそれに積極的に挑戦する、また社会からの問いかけに対して積極的に応戦していくことが、その潜在能力の発揮に欠くことができないと言うのです。
ここにもう1つ、わたしは霊的な年齢をあげたいと思います。もちろんこれは第3の心理年齢に近いものを含んでいると思います。ただ同じ内面の事柄であっても、自分の努力によって可能なものと、そうでないものとの違いはあります。霊的なものは、神を仰ぐその信仰の中で与えられるものです。そのために神の側からキリストを通して和解の道を備えてくださいました。「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです」(21節)と。ここに主イエス・キリストを信じることによって、さらには自分自身を神に委ねることによって与えられる新しさがあります。これこそが第4の新しさであり、古いものが過ぎ去り、いつまでも新しくあり続けていく道なのです。(高橋牧師記)

