まことの羊飼い

「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる」。 ヨハネ福音書10.7-18

 イエスはわたしたちを羊と呼びました。弱く迷いやすい性質を指してのことだと思います。人間は羊のように依存的ではなく、むしろすべてを支配できる偉大な存在であるかのように歩んできました。けれどもそれだけではありません。現在の環境破壊やウクライナにおける戦争のように、平和の道からますます遠のいていく面をもさらけ出しています。助けを失った、あたかも飼う者のいない羊のような姿で生きているのです。

 一方の羊飼い。それは決して楽な仕事ではありません。わたしたちは羊や羊飼いを、牧歌的なものと捉えがちです。しかし過酷な仕事であり、時には自分が怪我をしたり、命さえ脅かされることもありました。さまざまな敵から羊を守らなければならなかったからです。ちょうどクリスマスの夜に、夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちと共通する厳しさです。

 もちろん羊飼いを取り巻く環境がいつも危険であったというわけではありません。だから自分の羊を持たない雇い人が役立ったのでしょう。少なくとも狼などの敵が現れるときまでは。まことの良い羊飼いと雇い人の羊飼い、その真価があらわれるのは危機に陥ったときです。普段何でもない平穏なときにはそうした差はなかなか見えないものなのです。

 わたしが子育てをしている頃に、「大草原の小さな家」というアメリカのテレビドラマがあり、人気がありました。あのような温かい家庭を作りたいというあこがれがありました。そのドラマが好評を博した理由の一つは、わたしが思うには家族が危機に直面したときに互いに支え合おうとしたことがあったのだと思います。現実の家族ではなかなかそうはいきません。自然災害に直面したとき、あるいは家族の中に重い病人が出るなど、そうした困難に直面しますと、疲れも影響して、家族では支え合うというよりはむしろ亀裂が生まれ、互いに裁き合ったり、もっと悪くなれば崩壊することさえあります。普段はそうしたもろさは出てこないのですが、それが表に出るのは危機に直面したときなのです。

 雇人の羊飼いは狼が来ると、羊を置き去りにして逃げました。彼は羊のことを心にかけていないからです。「心にかけていない」。相手のことを「心にかけているか、それともいないか」があらわれるのは、こうした困難に直面したときです。それに対して、良い羊飼い、すなわち「羊のことを心にかけている」イエスは、羊の命を第一とします。そして羊の命を救うために、自分の命を捨てられました。この世界は神の助けなしにでも自分を助けなければならないと考え、助けうると考え、しかし助けることができずにさ迷い続けています。そうした中で主イエスは自分を助けることができるにもかかわらず、あえてただ一人自分を助けない道を選ぶことによって、人々に命を与えられました。わたしたちの命を救うために、ご自分の命を捨てられたのです。そして死からよみがえられました。だからイエスは「まことの良い羊飼い」なのです。(高橋牧師記)