まことのぶどうの木
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊 かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」。 ヨハネ福音書15.1-11

イエスはわたしたち信仰者をぶどうの枝にたとえ、木につながっていることの大切さを語りました。木につながっているならば、実を結ぶことができるように、イエスにつながっていれば実を結ぶことができるというものです。木につながっている、この関係こそわたしたちの最も本質的な姿なのです。
それならばイエスにつながっているということは、具体的にはどういう関係を言うのでしょうか。それはイエスの言葉をわたしたちの内に蓄えるということです。今年度の主題聖句は、「あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯」(詩編119)といたしました。聖書に親しみ、その言葉をいつもわたしたちの内に蓄えることの大切さです。それはちょうど、わたしたちが日々の食事をやめることなく、また忘れることがないのと同じです。それによって肉体を養っているからです。それと同様にイエスの言葉を毎日の心の糧として味わっていくことが必要なのです。それによって心が育てられていくからです。
本日は沖縄の施政権が日本に復帰して50年の記念日です。1972年5月15日に返還されました。沖縄ではその式典が持たれ、いろいろ複雑な思いで迎えられていることと思います。今、朝ドラでは「ちむどんどん」をやっています。わたしは主人公たちとほぼ同年代を歩んできた者として、興味深く見ています。また教団としては、沖縄教区との合同問題のこじれにより、今もその関係は距離が置かれたままです。日本政府と沖縄県、教団と沖縄教区、それぞれの関係に思いを馳せ、つながること、共に歩むことの難しさをわたし自身もかみしめているところです。いったい誰につながるのか。何につながればよいのか。何によってつながるのか。
「わたしにつながっていなさい」とイエスは言われました。そうすればあなたがたは豊かに実を結ぶことができるからです。そして言われました。「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである」。主にある喜び、信仰から来る喜びは、心の深いところから与えられるものであり、不安や憂いの雲を吹き払う力を持っています。ぶどうがその枝に、幹につながって初めて豊かに実を結ぶことができるように、わたしたちは主イエス・キリストを信じる信仰によって実を結ぶことができるのです。そこにこそ真の平安があり、不安定なこの世の旅路にあって安心して魂の錨をおろすことができる関係です。そこから来る喜びと平安はすぐに消えてなくなる一時的なものではなく、決して消えてなくなるものではありません。わたしたちの生活がどのように変化しようと、またさまざまな困難に直面したり、孤独や病気等でつらい目にあったとしても、ぶどうが木につながって実が豊かに実ると同じように、主イエスを信じて歩むことによって、必ずそれらを乗り越える力が与えられます。なぜならイエス・キリストこそ、他の数ある関係の中になって、唯一「まことのぶどうの木」だからです。(高橋牧師記)

