いのちを運んだ女たち

映画などでもよく知られた「出エジプト」。「栄光への脱出」、「十戒」などが有名ですが、アニメの「プリンス・オブ・エジプト」が私には印象的でした。聖書の民、イスラエル建国の基礎となる出来事です。エジプトに行ったとき、エジプトで知り合った人と「出エジプト」の話をしたのですが「あれはイスラエル人の書いた歴史ですよ」と言われたことを思い出します。歴史をどこから見るか?大切な視点ではあります。
「出エジプト」のリーダーはモーセ。エジプトの王女に育てられ王子となったモーセは、王に反抗して羊飼いになります。やがて厳しい奴隷状態におかれている人びとのリーダーとして立ち上がりました。そのモーセの誕生物語です。そこにはモーセの命を運んだ女たちがいました。弱い存在が巨大な権力の前で自分の存在を確かなものにする。その物語をたどり、その意味に触れてみたいと思います。
ヤコブの子ヨセフがエジプトに移住しました。やがて王を支える地位に上り詰めます。当時飢饉に襲われたヤコブの子孫たちがエジプトに避難してきました。そして次第に一つの勢力を築くようになります。危機感をつのらせたエジプトは、彼らを奴隷として酷使し迫害を重ねるようになりました。ついには新生児の殺害に及びます。
ところが、この王の命令に従わなかった女たちがいました。王の圧倒的な力を拒否した女たちです。新生児を殺すことを命じられていた「助産婦たち」は、出産に間に合わなかったと虚偽申告をします。モーセを出産した「母」とモーセの「姉」は、パピルスの葉で編んだ籠にモーセを入れてナイルの流れに託します。それを見つけた「王女」は、モーセの名付け親となり、彼を育て養子にしました。モーセは王子となりました。
この王を畏れなかった「助産婦たち」を、聖書は「神を畏れる人々」(1:21)と言います。言い換えれば王を畏れない人びとです。王の命令に背き、殺さなかった~殺せなかった~人びとでした。いのちはまさに神の創造の業でした。神の息が吹き入れられたいのち(創世記2:7)。神の息がかかった神の業に手を付けることを畏れたのでしょう。
彼女たちの抵抗の武器は何だったのでしょうか。人を殺す武器を使ったのではありません。先ず「神を畏れる心」です。次に機転を利かせる「知恵」。「出産に間に合わない」とか「ヘブライ人の乳母を呼ぶ」などの裏技を生み出します。そして凄いと思われるのが彼女たちの「実行力」でした。
この出来事は遠い昔話ではないようです。今日も、凶暴な力が世界を席巻しているかに見えます。「殺すことのできる人間」と「殺すことができない人間」が向き合う構図があります。一見弱く見える「できない人間」が、本当は強いのではないか。神はそのような人間を用いて歴史を作られるのではないかと思えます。
いのちが武器で守られたのではありません。柔らかい植物がいのちを包み、人の知恵がいのちを守りました。神を畏れる女たちのバトンタッチで守られ、運ばれたいのちです。このいのちが育ち、やがて奴隷の民の解放をもたらすのです。(前島宗甫牧師記)

