そして悲しみが去る

「主に贖われた人々は帰って来て 喜びの歌をうたいながらシオンに入る。頭にはとこしえの喜びをいただき 喜びと楽しみを得 嘆きと悲しみは消え去る」 イザヤ書51.4-11

 イスラエルの歴史には、二つの大きな出来事がありました。それは政治的・社会的な大事件でしたが、同時に信仰においても危機であり、同時に信仰を深めるものでもありました。一つはエジプトでの奴隷生活からの解放(出エジプト)であり、もう一つはバビロン捕囚とそこからの帰還です。上記の箇所にはその二つが出ています。預言者はバビロン捕囚から解放されイスラエルの民が帰還していくあたりに活動した人物です。この出来事は信仰的にもいろいろ影響を与えました。神は自分たちを選んでくださったのに、なぜこのような苦難を見過ごしにしておられるのか。自分たちにはどんな罪があったのか。この苦難にはどんな意味があるのか。
 
 主なる神は悲嘆に暮れるイスラエルの民を励まされました。主の救いが必ず実現することを告げるのです。どのような力ある国であっても、神の目から見れば一時的なものにすぎない。人間の世界は暫定的です。だからこのように語ります。「天に向かって目を上げ 下に広がる地を見渡せ。天が煙のように消え、地が衣のように朽ち、地に住む者もまた、ぶよのように死に果てる」(6節)。このように世界は、どの時代であっても必ず朽ちていきます。それは今までもそうでしたし、これからもそうです。文明も人間の知性も、あらゆるものは一時的にすぎない。それに対して、主の救いと恵みの業は決して絶えることがない。

 だから「奮い立て、奮い立て」(9節)と励まします。つらいときが続くと、人はどうしても疲れて自信をなくし下向きに歩みがちなのですが、主の救いがいま臨んでいるのだから心を高く上げて歩みなさいと預言者は言うのです。モーセに率いられて紅海を歩いて渡った救いの業を思い起こす。そしていま、人々は再びバビロン捕囚から帰還しようとしている。これもまた救いの時でした。

 アドベントとは到来という意味です。何の到来かと言いますと、それは何よりもイエスの誕生であるクリスマスを指しますが、それだけでなくもう一つの到来をも含んでいます。それをよく表しているのが讃美歌21です。従来の讃美歌では待降節から始まり、降誕、受難、そして終わりのところでイエスの再臨が歌われます。それに対して、讃美歌21では最初の待降に再臨も一緒になっています。すなわちアドベントとはキリストの誕生を待ち望むことにとどまらず、それとは別のことでありながら、しかし限りなく近くのキリストの再臨をも待ち望む、その二つの到来を見つめながら歩んでいくのです。第二の到来とは、言うまでもなくイエス・キリストが主の主、王の王として再び来られるという再臨、終末時の到来です。

 「主に贖われた人々は帰って来て 喜びの歌をうたいながらシオンに入る。頭にとこしえの喜びをいただき、喜びと楽しみを得、嘆きと悲しみは消え去る」。この希望によって、もはや嘆きと悲しみは消え去っていく。そして喜びと楽しみが新たに与えられる。この歌をうたいつつバビロンを後にした人々の姿は、同時にクリスマスを待つ者の姿でもあり、またやがて主がすべてを完成される時、その時をも待ち望む信仰者の姿でもあるのです。(高橋牧師記)