そのパンをください
「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」。 ヨハネによる福音書6.34-40

地球温暖化の影響なのか、テレビなどの報道によりますと、ヨーロッパでは水不足が深刻化しています。広大な農場経営者にとってこれから夏に向かっていくのですが、雨が降らず、気温も30度以上の日々が続く予報で大変だそうです。また国に内乱がおきると、必ず食料不足が起きます。アフガニスタン、そして今のスーダンなどです。食べること、飲むことはわたしたち人間(すべての生物)にとって欠くことができません。
発端は二匹の魚と五つのパンで5千人に食べ物を与えた奇跡でした。この出来事を体験した人々は、イエスを王のように崇めました。そこでイエスはその人々に言われました。「あなたがたがわたしの後について来るのはパンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」。そこで人々が「主よ、そのパンをわたしたちにください」と願い出、「わたしが命のパンである」とイエスが言われたのです。
イエスは5千人の人々の胃袋を満たすことからまず始められました。ただそこで止まってしまうのではなく、食べ物を通して、食べ物の奇跡を通して、それを超えた永遠なものを指し示しておられました。それが朽ちない永遠のパンであり、主イエスを信ずる信仰でした。
数年前に亡くなられた医師日野原重明さんのインタビュー番組を思い起こします。この方のお父さんは日野原善輔という牧師で、戦前主に西日本で活動されました。わたしの前任地の下松教会も同じメソジスト教会であったことから、特別礼拝などに来てもらったことが教会史に載っていますし、古い信徒の方はそれを知ってもいました。そのことを一度広島で日野原医師にお会いしたときに話したら、父から聞いたことがありますとの返事でした。その日野原医師がインタビューで、「診断はサイエンスだが、告知はアートだ」と言われました。医師の診断は厳密に科学的でなくてはならないが、それを患者に伝える技術はアート、すなわち思いやりとか愛といった相手の立場に立った語り方でなくてはならないということです。これは必ずしも医者だけの話ではありません。どのような職業の人にも言えることではないでしょうか。冷徹な目、分析力、しかしそれをそのまま語るのではなく、相手を生かし、励みとなり、力づけられるような言葉としていくことの大切さです。それによって人は肉体的な、現実の目に見える部分を超えて、内から新たな回復の力を得ることができるのです。それが精神であり信仰の力です。
「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」。健康を害した病める人には癒しを、仕事を失った人には職を、孤独な人には温かい交わり、もっと大きくはよりよい社会の環境や平和といったことも含まれるといってよいと思います。そのようにイエスも朽ちるものではあっても、地上的な事柄に深く関わりました。けれどもイエスの使命はそこにとどまってしまうのではなく、それを超えた永遠の命に至るパンを人々が見出すことにあり、そのパンによって命が養われることでした。(高橋牧師記)

