タビタ、起きなさい

  「ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て
   起き上がった」。  使徒言行録9.36-43 

 ヤッファという海沿いの地にタビタという女の弟子・信仰者がいました。彼女は信仰者として「たくさんの善い行いや施し」をしていました。その人が病気なって亡くなりました。多くの教会の人々から信望があったのでしょう。人々は彼女の死を嘆き、その前に集まっていました。そのときペトロはすぐ近くのリダという町にいましたので、人々はペトロに来てもらいました。そしてタビタが生前作ってくれた数々の下着や上着をペトロに見せました。

 今日、バザーはもはや教会だけのものではなく、さまざまな人々によって行われています。もちろん教会でも行っています。わたしが以前仕えていた教会ではバザーは特に大きな活動で、毎年11月3日に教会・幼稚園合同で行ってきました。当然そこではさまざまなものを売るわけですが、その一つに女性たちが作るパッチワークの作品がありました。毎年1年前から少しずつ作り始め、この日の出品にあわせます。バックやリュックサック、壁掛けなどいろいろです。そして収益を得るのです。ここに出てくるタビタという婦人は、「たくさんの善い行いや施しをしていた」と書かれていますし、特にやもめたちが生前彼女が作ってくれた「下着や上着を見せた」とありますから、おそらく生活に困った一人身の女性の世話をし、その世話の一つとして彼女たちのためにいろいろ縫ってあげたのでしょう。そうした思い出の品々をペトロに見せたのだと思います。  

 そこでペトロは皆を外に出し、亡くなったタビタと2人だけになります。そしてひざまずいて祈り、「タビタ、起きなさい」と言いました。するとタビタは目を開き、彼女は起き上がりました。まさにヨハネ福音書に出てくるラザロのよみがえりの奇跡同様の出来事です。これはペトロの力によるというよりは、主イエスのよみがえりに基づくものであり、その復活の力によってなされた業でした。復活の主イエス・キリストの力によるとき、あらゆる困難、病、さらには死さえも克服できることを示したものです。そしてこの物語の最後にありますように、「このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じ」ました。すべての業は主キリストを指し示すものでなくてはなりません。主の恵みを受け、その恵みを受けたことは、次に行動としてあらわれる。それが主を示すことにつらなるのです。

 このようにペトロによる奇跡、タビタの「善い行いや施し」などは、その背後に信仰があり、信仰の言葉がありました。それは今日の時代でも同じです。教会は、そしてわたしたちは何を語るかだけでなく、その語ったことにはどのような行動を伴うかが問われるものでもあります。言行がなかなか、いや、ほとんど一致しない人間の不安定さのなかにあって、語ることと行うことが一緒に進むよう導かれているのは大きな恵みです。

 そういう意味では、今も教会は初代の教会同様この書物のタイトル「使徒言行録」を記録しつづけていると言えます。そしてそうした数々の言葉と業は、それ自身のためにあるのではなく、そのことをとおして人々が神に立ち帰る、主イエス・キリストを信じる群れとなって成長していくことにあるのです。まさに使徒言行録は今もつづいているのです。(高橋牧師記)