互いに重荷を担う

「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです」。   ガラテヤの信徒への手紙6.1-10

 わたしたち人間は一人で生きていますし、またそのように生きなくてはなりません。神に生かされつつ、一人の人間として生きていくのです。ただそれだけではありません。わたしたちは人と共に生きる者でもあるからです。この点が今日の社会で非常に弱い部分なのですが、さまざまな問題を共に分かち合える関係を持つことは重要です。実はこの二つは別々のことではありますが、双方深く関係してもいます。一人で生きることは、交わりの中で生きることだからです。一人でいることのできない人は、他の人との交わりをうまくつくることができません。その人が交わりに入ると、他人に依存的であったり、逆に人を支配しようとしがちです。相手を一人の人格として尊重しながら交流することができるのは、自分が一人でしっかり立っているかどうかによるのです。反対に人との触れ合いがない孤独な人は、自分一人になることが危険でもあります。その人は独善的、また気難しくなったり、自分を破壊したりする可能性が生まれるからです。  

 今日の聖書には「互いに重荷を担いなさい」と「めいめいが、自分の重荷を担うべきです」と書かれています。前の方が他人の重荷に対して、後の方が自分の重荷です。わたしたちは自分だけに与えられた課題や責任があります。それを人任せにしてはなりません。一人で生きるとは、そういうことを言うのでしょう。けれどもそれだけではない。「互いに重荷を担いなさい」とあるように、他の人の、また友の重荷に無関心であってはならならないのです。一人で荷物を持つより、二人でそれを持てば力は半分ですみます。だから交わりの中で生きることは大切です。このように一人であることと、交わりの中で生きることは縦糸と横糸のように深く関係しています。

 現在のコロナ禍で再度注目を浴びたフランスのノーベル賞作家にアルベール・カミュの「ペスト」がありますが、それほどには目立ちませんが、「ヨナ」という短編小説があります。一人の画家が経済的にも家庭的にも恵まれ、仕事の上でも成功していたのですが、生きる希望を失ってついに倒れてしまいました。その画家が残したカンバスには小さな字が記されていたのですが、それは孤独と読むのか連帯と読むのかはっきりしなかったという話です。フランス語ではたった一字の違いなのですが、意味は正反対です。いったいこの画家は連帯、交わりを求めていたのだろうか。それとも孤独を必要としていたのだろうか。あるいは孤独に耐えられなかったのか。そもそも孤独と連帯をどのように関係しているのだろうかといった問題を投げかけた小説です。

 「互いに重荷を担いなさい」。困難な問題を共に担い合う。あるいは心の苦しみや愚痴を聞き合うことだってよいかもしれません。そのように信仰者は仲間と共に歩む者です。と同時に神の前に一人の人間として立っている者でもあります。このようにキリスト者は交わりの中で共に生きる者でありつつ、また神の前において一人で生きる者なのです。また一人で生きることを通して、それが依存的・支配的にならずに人と人との交わりを育てていくことができるのです。(高橋牧師記)