人と異なる神の思い
「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なりわたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる」。 イザヤ書55.1-11

今から3年前の2019年12月4日、アフガニスタンで井戸掘りや用水路の建設に尽力していた中村哲医師がイスラム原理主義者によって殺害されました。彼は人々の生活改善を目指し、農業の普及に努めていたのです。ある程度身に危険を感じていたそうですが、あのような尊い活動をする人を殺害するとは、まったく愚かな行為と言わざるをえません。まさに彼は一粒の麦となったのですが、これはアフガニスタンにとっても大きな痛手となりました。その中村さんの働きを支えるのが「ペシャワール会」で、今「荒野に希望の灯をともす」という映画が上映されています。
荒野、希望、それはクリスチャンである中村さんの聖書に基づいた言葉でもあります。イザヤ書の中でも、こうわたしたちに呼びかけています。「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい……穀物を求めて、食べよ」(1節)。主なる神はあなたを招いてくださり、良いものを食べることができるというのです。これは現実の飲み物、食べ物を示しているだけでなく、それを超えて心の糧、心の飲み水をも約束したものです。
この世界は今も荒れ野です。紛争があり飢え・渇きがあります。ある意味では、人間の混乱と神の摂理の入り混じる世界です。そこで聖書は次のように語りかけます。「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。天が地を高く超えているように/わたしの道は、あなたたちの道を/わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている」。
神とわたしたち人間の思いはまったく違っている。しかも神の思い、神の道は人間とは比較できないほど、桁違いに偉大であるという点で異なっているといいます。とすればわたしたちは神について、また信仰について、自分の小さな頭や貧しい心で捉えているだけなのではないのか。あなたの神はあまりにも小さすぎはしませんか。神はわたしたちがこう思っているとき、別のお方として現れ、働かれるのではないでしょうか。わたしたちが5を求めているとき、神は10を用意しておられる方だからです。
しかもそのように語られる神の言葉は必ず実現します。すべて肉なる者は草に等しく、あっという間に枯れていきます。それは若者であっても壮年期にある者であっても、やがては勢いを失い、疲れ、つまずき倒れます。しかし主を待ち望む者には新たな力が与えられます。それこそがとこしえに立つ主の言葉に信頼をおき、聞き従って生きる者の姿です。そのとき主を信じて歩む者は走っても弱ることなく、歩いても疲れることがないとイザヤは語るのでした。
アドベントの第2週を迎えました。先週よりさらに主の到来が近くなってきました。荒れ野に主の道を備え、砂漠にまっすぐな広い道をつけるときがいよいよ近づいてきました。「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに」と呼びかけられているとおりです。そのようにわたしたちに声をかけ、招いていてくださる神に向かって、悔い改めながら心を整え、はばかることなくその恵みの神に近づいていきたいと願います。(高橋牧師記)

