仲間に入る
「バルナバはサウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した」。
使徒言行録9.26-31

パウロはエルサレムへ上りました。以前の彼はユダヤ教徒として、また教会の迫害者としてでした。ところが今度はクリスチャンとしての上京で、同じキリスト者として挨拶、また仲間に入ろうとしたのでした。ところが教会はすぐに彼を信用することができませんでした。「サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた」(26節)のです。受入れ拒否。当然かもしれません。キリスト者になったからとて、にわかには信用できなかったのでしょう。それでもダマスコではアナニアが執り成したように、ここエルサレムではバルナバが執り成しの役を担ってくれました。バルナバという信仰者は自分の畑を売って使徒たちに献げただけでなく、「立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた」人だったのです(11.24)。
その後、ダマスコでユダヤ人から命を狙われたように、今度はエルサレムで彼らから迫害を受けました(29節)。そのためパウロはエルサレムにおられなくなり、故郷タルソスに逃れることになりました。これ以降がいわゆる沈潜の期間で、ガラテヤ書によりますと14年の歳月が流れます。次に彼が現れるのは使徒言行録11章で、アンティオキアの教会でした。この間のパウロ、それは先輩からキリスト教信仰を学び、さらに深める期間であったことでしょう。またパウロ個人としては、かつては熱心なユダヤ教徒でした。その熱心さは教会の迫害者となりました。ステファノ殺害にも加わりました。けれども今度はクリスチャンとして、ユダヤ人から命を脅かされることになりました。以前のステファノ同様です。そして彼の命を狙う者たちとは、これもかつて迫害者であった自分自身の姿と重なります。何が間違っていたのだろうか。律法とは何か。神殿とは。そして熱心さとは何か。結局パウロはステファノの同じようにユダヤ人から迫害されつづけ、最後は囚人としてローマに送られました。パウロはステファノのことについていっさい触れていませんが、その殺害に関与したこと、その理由としての律法や神殿批判を自分も同じように主張しながら、異邦人の使徒として迫害されていく。ある新約学者は彼の異邦人伝道は「懺悔道」だったと述べています。かつての自分の過ちが心の棘となって突き刺さっているのですが、その苦しみとそれから癒されようとする思いがますます熱心に異邦人伝道、すなわちユダヤ人のような間違った熱心さではなく、異邦人にも開かれたキリストにある信仰を宣べ伝えていくというものだったのです。
十字架のイエスを巡って180度反対の方向を進むことになったパウロ、そのあまりにも揺れの激しい生涯で、時にはまったく孤独となりました。それでもそこには主の導きが厳然と備えられていました。またそこにはふさわしい助けがありました。それがバルナバであり、ダマスコにおいてはアナニアです。わたしたちは同じ信仰者であってもパウロと同じ道を歩んでいるわけではありません。それでもそこには過ちがあり、人から受け入れられないときがあり、沈黙を必要とするときもあるでしょう。それは同じです。そしてまた、主の導きが変わることなく、それに伴いふさわしい助け手が与えられるのもパウロと同じであることを確信できるのではないでしょうか。(高橋牧師記)

