信仰の友

    「オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の
     人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです」。 フィレモンへの手紙8-25

 一人の奴隷が主人のもとから逃亡しました。何か問題を起こしたようです。彼はコロサイから170㎞ほど離れたエフェソという都会に逃げ込みました。不思議なことに、そこでパウロに出会いました。当時、パウロは獄に捕えられていました。どういう経緯か分かりませんが、この奴隷はパウロを通して洗礼を受けました。彼の名はオネシモです。

 さらに複雑な事情が重なります。オネシモの主人もキリスト者であり、それもパウロの影響を受けて信仰を持った人でした。その人物がフィレモン、この手紙の受取人です。一方には奴隷制を敷くローマの法律がありました。他方にはイエス・キリストによる地上の法を超えた新しい神の国の交わりが生まれたのでした。

 パウロは一度、オネシモを社会制度上の主人であるフィレモンのもとへ送り帰すことに決めました。ただそれだけでなく、お互いはすでに信仰者なのだからといった趣旨の手紙を書き、それをオネシモに持たせることにしました。「わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。本当は、わたしのもとに引き止めて、福音のゆえに監禁されている間、あなたの代わりに仕えてもらってもよいと思ったのですが、あなたの承諾なしには何もしたくありません」と記して。  

 オネシモはパウロと会ってから、言い換えればキリスト者になってからずいぶん変わりました。オネシモという名前は「役立つ」という意味です。以前のフィレモンの目に映るオネシモは、その名前とは反対に「役に立たない」者でした。ですから叱られたときなど、「お前は名前と反対に『役立たずだ』」と言われたのかもしれません。けれども今は違います。「彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者」となったからです。ここにはオネシモという名前の意味が重ね合わされています。

 パウロの希望はオネシモを一度フィレモンのもとに送り帰して、再びパウロの宣教のため一緒にさせてほしいというものでした。ただそれがパウロ主導でなされるのでなく、フィレモンの自主的な気持ちから生まれることを願ってです。「それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、自発的になされるようにと思うからです」。信仰に基づく愛にはこの世の法律や規則で定められていること以上のものを生み出す力があります。それは自主的な力であり、献身、奉仕というかたちでもあらわれます。この世の規則においては、定められたことだけが守られるに過ぎません。給料分だけは確実に働くが、それ以上はしないというようにです。しかし愛の原理はそれ以上を生み出します。1ミリオン求める者には2ミリオンを共にしようするようにです(マタイ5.41)。自発性、そこから生まれる献身とはそういうものなのです。この世の制度の中にあっても、その立場を超えて新たな信仰の交わりが生れ、それが逆にこの世の在り方を変えていく力ともなっていくのです。「オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです」。ここに現在の制度を超えた、新たな信仰の交わりが生まれたのでした。(高橋牧師記)