救い主は飼い葉桶に

「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」 ルカ福音書2.1-7

 救い主イエス・キリストの誕生であるクリスマスは、次のような次第でした。ローマ皇帝アウグストゥスによる住民登録の勅令により、ヨセフとマリアはガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムへ行かねばなりませんでした。距離は約170㎞、普通の足で5日間の道のりと言われています。ましてこのときマリアは身ごもっていましたので、もっと大変でした。
 
 厳しさはそれだけではありません。彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて赤ちゃんを産みました。それを聖書はこう告げています。「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」。飼い葉桶、それは家畜のためのものであって、人間のためのものではありません。世界の救い主としてお生まれになった方が、そこに横たわっていたのです。何と異様な光景ではないでしょうか。

なぜそのような貧弱な場所にお生まれになったのでしょうか。最後にこう記されています。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」。宿屋ですから、そこには人が泊まる部屋が用意されていました。ただすべてが満室であったから、イエスの家族は泊まることができなったということです。それならいったいだれが泊まっていたのでしょうか。その中でだれ一人として自分の部屋を譲る者はいませんでした。だれ一人救い主の誕生に気づく者もいませんでした。世界の救い主の誕生にもかかわらず……。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」とはそういうことなのです。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と天使は賛美しましたが、その栄光ある天と比べて、この地上では何と慎ましい、貧弱な光景が繰り広げられていたことでしょう。  

 ルターが語っています。「皆さんの中には、心ひそかにこう考える人がたくさんいるでしょう。『ああ、わたしがその場所に居合わせたらなあ!喜んでご用をつとめただろうに!洗濯もしただろう、お守もしただろう。そして羊飼いと一緒に、大喜びで飼い葉桶のイエスさまにお目にかかっただろうに』と……もしもそのとき、その場に居合わせたなら、あなたがたにしたところで、ベツレヘムの人々と五十歩百歩だったにちがいありません……それなら、なぜ今そうしないのですか?キリストはあなたの隣人のうちにいましたもうのです。あなたはその人に仕えなくてはなりません。苦しみの中にある隣人にすることは、主御自身にすることなのです」。

 ローマ皇帝による住民登録の勅令に端を発した救い主イエス・キリストの誕生。それはだれにも顧みられず、地上には生まれる場所さえもなく、きわめて目立たない形で飼い葉桶に寝かされた誕生でありました。この方は人々から仕えられるのではなく仕える者として、権力者のように人々から奪うのはなく、むしろ与え、しかもご自身の命さえも与える方として誕生したのでした。その方がわたしたちの救い主イエス・キリストであり、クリスマスの出来事だったのです。クリスマスおめでとうございます。(高橋牧師記)