新しいものが生じた
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」。 コリントの信徒への手紙二 5.16-21

新しい年2026年を迎えましたが、その新しさについては聖書もこう語っています。「キリストと結ばれている人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」と。「キリストと結ばれている」ことが新しさの根源です。それは時の古い・新しい、若い人・高齢の人といったことで量られるものではなく、もっと内面的、質的なことなのです。
人生の年齢には3つの面があると、ある本で読んだことがあります。1つは生活年齢です。これはいつ生まれたかによる暦の上での年齢で、だれでも誕生日が来れば必ず一つ年を取ります。これは自分でコントロールすることができません。第2は生理年齢。健康状態による年齢です。それは健康管理を上手にすれば、かなり生理年齢をコントロールすることができます。しかし何よりも重要なのは第3の心理年齢です。人は生活年齢でいくら年を取っても、心理年齢の面ではいくらでも若さを保つことができると言います。自分の努力で決められるからです。だから自分はもう年だからダメとあきらめてしまわずに、前向きに生きることが重要なのです。潜在的能力とでもいうのでしょうか。それを十分に引き出すことの大切さ。誰もがタラントン(賜物)を神から与えられているのですが、人間はそれをわずかしか使っていません。自分自身課題を設けてそれに積極的に挑戦する、また社会からの問いかけに対して積極的に応戦していくことが、その潜在能力の発揮に欠くことができないというのです。
ここにもう1つ加えることが許されるならば、わたしは霊的な年齢をあげたいと思います。もちろんこれは第3の心理年齢に近いものを含んでいると思います。ただ同じ内面の事柄であっても、自分の努力(心の持ち方)によって可能なものと、そうでないものとの違いはあります。霊的なものは自分の努力によって保たれるというものではなく、最終的には神を仰ぐ、その信仰の中で与えられものです。つまり恵みです。人間は根本的にさまざまな罪に支配されていて、神に敵対しています。こんな言葉があります。「主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。むしろお前たちの悪が、神とお前たちとの間を隔て、お前たちの罪が神の御顔を隠させ、お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ」(イザヤ59.1-2)。この隔ての壁を取り除くために必要なことは神との和解です。そのために神の側からキリストを通して和解の道を備えてくださいました。「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです」とある通りです。このようにキリストによって、和解の道が成立しました。ここに主キリストを信じることによって、さらには自らを神に委ねることによって与えられる新しさがあります。
世界のあちこちでは今も戦争や暴力が繰り広げられ、国連を中心とした国際社会も十分な働きができません。この世界は、そしてわたしたち個々の生活も、闇と光の入り混じる中にあってもがき苦しんでいます。それにもかかわらず、主イエス・キリストにあってこの新しい年を、まことに新しい人として歩み始めることがわたしたちに与えられているのです。(高橋牧師記)

