新しい仲間
「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた」。 使徒言行録2.37-47

ペンテコステに誕生した教会、聖霊に導かれた信仰者の教会生活がここに示されています。当時どんな集会を開いていたか、どんな交わりをしていたかという、今日の教会の原型です。このように書かれています。「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(42節)。もちろん今のわたしたちの礼拝やその他の生活とすぐにつながるわけではありません。今日の形を取るまでには、その後の長い教会の歴史を経てきたからです。ただ基本的な点では、聖書の中に見られる教会生活と今のわたしたちの生活は深くつながっています。ここに4点その特徴が書かれています。まず最初は「使徒の教え」に熱心に聞くことでした。これは現代に言う聖書(説教)に聞くという姿勢です。また礼拝を守る、その他の諸集会への態度ということで、まずここから始まります。2番目には「相互の交わり」があげられます。今日でもこの交わりは重要な位置を占めています。交わりは孤立化してバラバラになっている現代の社会にとって必要なだけに、教会の交わりはいっそう世の光として輝きを増しています。それは「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った」という具体的なものを含んでいます(44-45節)。施しとか援助に相当します。そのように貧しい人、困難な人(現在の戦争や自然災害による被災者等)に対して無関心でないという姿勢がこうした交わりを形作るのであり、互助や募金活動はその代表的なものです。
3つ目は「パンを裂くこと」です。これは耳慣れない言葉かもしれません。イスラエルなど中近東では大きくて薄いパンを食べています。それをある指導者や家の主人が感謝の祈りをささげてから、裂いて皆に分け与えた、そんな背景が考えられます。もちろんここでのパン裂きは、それからさらに深まり、教会の聖餐式を言い表す特別の用語となりました。主イエスがパンを裂いて弟子たちに渡されたあの最後の晩餐です。初代の教会では、食事の中でそれを行っていたようです。やがて食事(愛餐)と聖餐とは切り離されていくようになり、今日に至っています。4番目に「祈ること」が出てきます。それは群れの中で一人が代表して祈るということだけでなく、皆でそれぞれ祈るということでもあります。水曜日の「聖書に親しむ会」でも皆で祈っていますが、それはここ初代教会からの遺産なのです。
このような教会の交わりと働きが、「民衆全体から好意を寄せられた」とあります。そして「こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされ」ました。教会とは何なのか、伝道とは、そしてどんな活動をすべきなのか、それはここに記されているすべてといってよいのではないでしょうか。あれから2000年後の今日、教会で語る言葉や活動には変化を必要とする面はありますが、基本的にはほとんど変わりないことにも気づきます。大切なことは、その基本に忠実であるかどうか、喜びと真心をもって自らを献げ、交わりを形成しているかどうかなのです。これこそが教会の魅力となっているのです。(高橋牧師記)

