死者の復活

  「更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています」。   使徒言行録24.10-21 

 ここはパウロがローマへ囚人として護送される原因となった出来事です。3回目の伝道旅行を終え、集めた献金を持ってエルサレムの教会へ行きました。ところが異邦人伝道を行っていたパウロの宣教姿勢は、エルサレムで誤解されていました。「この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです」がその一端です(21.17以降)。

 そのためパウロは彼らの忠告に従い、神殿に上って、律法を軽視していないことを証ししようとしました。ところが過激なユダヤ人たちがパウロを捕えて殺そうとまでしました。そのため神殿の境内は混乱状態に陥りました。そこでローマの軍隊が出動して、パウロの身を守るため一時兵営に入れておきました。さらにはパウロ暗殺計画が発覚したので、地中海に面したカイサリアに密かに護送されました。

 そこでパウロは再度訴えられます。「この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、『ナザレ人の分派』の首謀者であります」。それに対するパウロの弁明が続きます。「私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています」。彼らが分派と呼んでいることを、パウロは否定していません。それは主イエス・キリストを信じる群れのことであり、「この道」とはキリストの教えに基づいた歩みのことです。  

 ローマ書に次のような言葉があります。「ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です」。ここには福音と律法が決して矛盾、対立するのではなく、むしろキリスト・イエスの信仰において継続され、完成されたと述べられています。パウロが宣べ伝える福音は、決して律法を無視したり神殿を汚したりするものではありませんでした。

 その福音の中心は何と言っても死者からの復活でした。パウロはこう語ります。「正しい者も正しくない者もやがてやがて復活するという希望を、神に対して抱いています」。さらにパウロが語る復活は、そしてわたしたちが信じる復活は、イエスの十字架に基づく復活です。それをパウロはこう言い表しています。「わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています。イエスの命がこの体に現れるために。わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています。死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために……主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださる」(コリント二4.10-14)。

 パウロがイエス・キリストの復活を宣べ伝える中で、さまざまな誤解が生じました。敵意も生まれました。その結果、迫害にさらされることになりました。けれどもそうした逆境さえも用いられて、ローマ行きというかつての祈りと願いが実現したのでした。信仰の歩みには何一つ無駄なことはなく、すべてが益となるよう神は共に働いてくださっているからです。(高橋牧師記)