燃え尽きない柴
神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから」。 出エジプト記3.1-10

モーセが羊の群れを追って、山の中へ入っていったときのことでした。彼は柴の間で燃えている炎を目にしました。近づいてみると、その柴は燃えているのに、決して燃え尽きることがありませんでした。そしてその中から神の声が聞こえたのです。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたが立っている場所は聖なる土地だから」。聖なる場所だから履物を脱ぐ。これは今日でも様々な宗教施設で行われています。イスラム教寺院でもヒンズー教寺院でも同様です。それは教会の中でもときどき見られます。たとえば靴を脱いでスリッパに履き替える礼拝堂のような所では、講壇に上がるときスリッパを脱ぐ教会があります。これなどは聖なる場所に対する一つの姿勢だと思います。けれどもここで大切なことは、その聖なる場所で靴を脱ぐかどうかという以上に、この場所そのものが靴を脱ぐほどの聖なる場所であったということです。
それならばその場所とはどのような場所でしょう。そこは都のような場所でもなければ、絢爛豪華な建物の中でもありませんでした。そうではなくここは荒れ野であり、モーセ以外、家畜を除いて誰一人いないうら寂しい場所でした。当然野外ですから、履物を脱ぐと余計に足が汚れてしまうような場所です。ところがそこが靴を脱ぐにふさわしい聖なる場所であり、その場所が聖なる場所になりうるということだったのです。さらにここに立っているモーセの心の中を察してみますと、今家庭を構えて落ち着いた生活をしている反面、自分にはエジプトから逃げてきたというどこか後ろめたい思いがあり、同胞が苦しんでいるのに自分はこんなところにいていいのだろうかといった気持ちもあったことでしょう。そのようにモーセが今立っている荒れ野は、彼の精神、信仰においてもまた神から離れた荒れ野だったのです。こうして神から離れていると思っていたモーセに、神は聖なる場所を用意してくださったのです。
神はモーセをエジプトへ遣わそうとされます。モーセ以上に、神ご自身も神の民イスラエルの苦しみや痛みを知っておられたからでした。モーセにはその任に堪える自信はありませんでしたが、「わたしは必ずあなたと共にいる」とのみ言葉に支えられ、彼はエジプトへ向かいました。
わたしたちの中には今も病の苦しみや不安の中にいる友がいます。高齢や孤独の中でさまざまな寂しさを感じている人もいます。また仕事や家庭の悩み、人生のいろいろな重荷を背負っている者もいます。エジプトにおいて苦役を課せられているイスラエルの民のようにです。また失意の中にあって荒れ野にいたモーセのように。そのモーセに「あなたが立っている場所は聖なる土地だ」と言われたように、まさにその苦悩の場所で神がご自身を現されました。どのように荒れた貧しい状態の中にあっても、神がおられない、神と出会わない場所はありません。病院のベッドの上であれ、施設の中においてもです。いかなる場所であっても、履物を脱ぐほどの聖なる場所を神は備えてくださるのです。しかも柴が燃え尽きることがないよう、わたしたちを支え導く神の愛の炎は決して途絶えることがありません。(高橋牧師記)

