破局からの救い
「だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません」。 使徒言行録27.33-44

パウロが乗った船は地中海で暴風に遭遇しました。14日間昼は太陽が、夜には星も見えない激しい嵐です(20節)。人々からはついに助かる望みがまったく消えうせようとしていました。そんな時です。パウロは一同に次のように語りました。それが上記の言葉でした。
囚人であるパウロが10数日にも及ぶ嵐の中で生きる希望を失わず、逆にみんなを励ますことができたのは、彼に与えられた使命であり、信仰の確信ゆえのことでした。24節にこう記されています。「恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ」。囚人としての不自由さ、また嵐に悩まされる逆境。そんな中でも「任されている」ものがある。そんな中にも、神から与えられた働きがあるとの確信です。
アウシュビッツ強制収容所から生き延びた精神科医のヴィクトール・フランクルが、「夜と霧」という書物の中で興味深いことを述べています。強制収容所で生死を分けた一つは、生きる意味の問い方だというのです。すなわち私が生きることから何を期待するかではなく、反対の生きることが私から何を期待しているかが重要だと。生きる意味を問うのではなく、私自身がこの問いの前に立っているということです。暴風など人は予期しないことに出合うと、気が動転し、冷静でいることがむずかしくなります。疲れや恐れの中、不安を抱き元気をなくすものであり、そのようなときも勇気や忍耐を持ち続けることは並大抵ではありません。それは食欲や睡眠にも影響を与えます。それは船上の人々も同じでした(33節)。
「あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません」。これはイエスの言葉から来ています。すなわち「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」(マタイ10.29-31)。いわゆる摂理の信仰です。それは全能の神の今働く力であり、今がどのような状態にあったとしても、それが偶然でなく神のみ手の中にあるというものです。だから私たちはたとえ不遇の中にあったとしてもそれで深く落ち込んでしまったり、破れかぶれなってしまうのではなく、忍耐強く希望を失わずにいることができるのです。
その摂理は大きくはローマの旅そのものにも見られます。パウロはローマ行きを願っていましたし、確かにそれは実現しました。けれどもこの実現には、二つの意外な出来事が貢献しています。一つは囚人という立場、もう一つは嵐による遭難という出来事です。どちらも自分の主体的な計画で進んだものではありません。ある意味で流されていったものです。また14日間もの遭難とそれによる意気消沈は、通常目的から後退したもの、無駄な時間と考えられがちです。しかしそうした予期せぬマイナスに見える出来事さえ、意味のある神の計画の参与となりました。すべては偶然からでなく神のみ手によって成る。神の許しがなければ何一つ起こらないという信仰は、それゆえ私たちがどのような「今」であったとしても、自らを支え、勇気づけていくのです。(高橋牧師記)

