神は心を見る

「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」  サムエル記上16.1-13

 預言者サムエルがダビデを王として任職しようとしました。それまで王であったサウルが神の目に適わなかったことから、次の王を立てることになったからです。そこでサムエルは主なる神からベツレヘムの地を指し示されました。
 
 エッサイの家にサムエルは入り、神が選ばれた王を見つけるために息子たちを順に立たせました。最初は長男のエリアブです。「彼らがやって来ると、サムエルはエリアブに目を留め、彼こそ主の前に油を注がれる者だ、と思った」とあります。ところが神はサムエルに言われました。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」。預言者サムエルともあろう人がこの人だと思ったくらいですから、よほど王になる風格があったのでしょう。

 次に次男のアビナダブ、三男のシャンマをサムエルは通らせましたが、神は王として選ばれませんでした。そうして7人の息子がすべてサムエルの前を通りました。サムエルは言いました。「あなたの息子はこれだけですか」。父親のエッサイは言います。「末の子が残っていますが、今、羊の番をしています」。そこでサムエルはその息子を呼び寄せるように言いました。そしてその息子をサムエルの前に立たせました。主なる神は言われました。「これがその人だ」(12節)。言うまでもなく「この人」こそダビデであり、イスラエルの王として立てられる人でした。

 わたしは毎日、外国のニュースを見ています。その中でいま気になっている報道があります。それはSNSの大手、フェイスブックの元従業員による内部告発が欧米で問題になっているというものです。インスタグラムを通しておびただしい写真が投稿されているのですが、それが特に10代の子どもたちに悪い影響を与えているそうです。この世代は人の影響を受けやすく、自分の体形に悩みや不満を抱えているとき、投稿された他人の素晴らしい写真を見ると、ますます自己嫌悪に陥り、さらには摂食障害やうつ状態をも引き起こしかねないという問題が指摘されているのです。投稿された写真はその人の一部分でしかありません。最良の面だけでなく、落ち込んだり、病気になったりするときもあります。思春期の子どもたちは一面的に見やすいだけに、そこから悪影響を受けるのでしょう。現代はネットを通してだれもが自由に投稿できますが、他方ではそれをだれもが見ることによって、特にこうした世代に有害となる場合があるというのです。その場合の企業の社会的責任はどうあるべきなのかが、いま問題になっているわけです。

 「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」。神は人間が見るようには見ておられません。人は姿形といった外見に引っ張られ、そこから物事を判断しがちです。しかしそれは正しいことではありません。そうではなく、神は心によって見ると言われました。なぜなら本当に大切なことは目に見えないものだからです。わたしたちはそのような目で神から見守られているのですから、同じようにそうした見方を自分の中で育てていかなくてはなりません。(高橋牧師記)