網を降ろしてみなさい
「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。 ルカによる福音書5.1-11

イエスはガリラヤ湖畔でペトロに声をかけられました。彼をご自分のそばに置くためです。そのやり取りを見ますと、二つの段階を踏んでいることが分かります。最初はペトロに「岸から少し漕ぎ出すようにお頼みにな」りました。そのように最初は小さな仕事をペトロに与えられます。それは「岸から少し漕ぎ出す」程度のものです。初めから大きな仕事、責任ある務めはなかなかできるものではありません。それでもペトロは自分の舟が用いられ、小さくても自分の働きが役立ったことが嬉しかったにちがいありません。
次にイエスは「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われました。今度は少し進んで「沖に漕ぎ出す」ものでした。このようにもう少し大きな仕事をペトロに託し、さらに「網を降ろしなさい」という新しい課題を与えられたのです。最初は小さな奉仕でもいい、自分に何らかの課題を設けてそれを行っていく。しかしいつまでも同じところに留まっていてはいけません。み言葉を聞きながら、自分なりに次の課題に向かって挑戦していくことが大切だからです。信仰とはそのように自分の手や体を用いながら深めていくものなのです。
ペトロの名前を呼ぶ、それは招く、召すという意味もあります。讃美歌21-516はそれをよく表しています。イエス・キリストがあなたの名を呼び、招かれる。イエスがあなたを必要とされている。自分などいなくてもよいのではなく、あなたがいなくてはならないのです。わたしたちはキリストに呼ばれた者として生きているのです。
このときペトロたちは網を洗っていました。「夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」と答えているように、徹夜の労働と、収穫のない働きという二重の疲れを覚えていました。そんなペトロに今一度「漁をしなさい」とイエスは言われました。ペトロたちは漁師ですから、この道の専門です。夜通し働いて何もとれなかったのに、日が昇った今網を降ろしてみなさいとは、愚かな言葉に聞こえたにちがいありません。それでも彼らは沖へもう一度出ました。すると今度は網が破れそうなほど多くの魚がとれました。
この体験をしたペトロは言いました。「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」。聖書の中心のメッセージは、「主よ、わたしから離れてください」ではなく、「わたしから離れないでください」「共にいてください」です。けれども一人の人間として神の前に立つとき、自分はまったくふさわしくない、今のままの自分では受け入れられないという思いが、わたしから離れてくださいとの言わしめるのです。他面、実はここにこそ真の赦しがあります。神は裁く方であると同時に、赦す方でもあるからです。そこで「今から後、あなたは人間をとる漁師になるのだ」との新たな使命を受けることになりました。「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」との思いは、あなたは大丈夫、わたしが示す働きをしなさいとの肯定になっていったのです。わたしたちも同じようにこうした過程を経て神に受け入れられていきます。それゆえ確信をもって歩んでいきたいと思います。(高橋牧師記)

