誤 解

「イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。『サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている』」  マルコ福音書 8.27-33

 イエスは弟子たちに、人々がわたしのことを何者だと言っているかと尋ねられました。弟子たちは、洗礼者ヨハネとかエリヤの名前をあげました。偉大な預言者たちです。すると次にイエスは弟子たち自身に問われます。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」。世間の評判や噂ではなく、あなたはわたしのことをどう思っているかをです。そこでペトロが答えました。「あなたは、メシアです」。すなわちキリスト(救い主)ということです。 

それからイエスは、ご自身が「必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている」と教え始められました。たった今、ご自分が世の人々が待ち望んでいたメシアであることを受け入れられたばかりなのに、今度はその救い主が苦しみを受け、殺されると言われたのです。それは反対の姿にほかならず、弟子たちも混乱したにちがいありません。そこでペトロが言いました。先生、何をおっしゃるのですか。そんなことがあってはなりません。それに対しイエスが言われます。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」。ペトロはサタン呼ばれて、さぞ驚いたことでしょう。自分はイエスをメシアと信じている。そのイエスが苦しみを受け殺されると言われたときには、メシアにそんなことがあってはならないと心から思ってイエスに注意したつもりなのに、「お前は神のことを思わず、人間のことを思っている」と、なぜ叱責されるのだろうか。

 わたしたちが住むここ近畿地方にはかつて多くのキリシタンがいました。茨木市にはキリシタンの史料館もあり、ぜひわたしは訪れたいと思っています。三浦綾子の小説に「細川ガラシャ夫人」があり、当地と関係していてなかなか印象的です。彼女に影響を与えた書物に、「キリストにならいて」があります。わたしはそれを手にしながら、あの厳しい戦国時代に生きた人々が、どのような理由でキリスト教を受け入れていったかに思いを馳せます。このような箇所があります。「イエスは天国を愛する者を多く持っているが、十字架を担う者はわずかしかいない。慰めを求める者は多くいるが、苦難を願う者はわずかである。パンを裂くときまでイエスに従う者は多いが、受難の杯を飲むところまで従う者は少ない。多くは不幸が身に起こらない間だけイエスを愛し、彼から慰めを受ける間だけ彼を崇める」

 「あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」。人間的に言えばできればメシアは苦難にあってほしくない、またそのようなメシアのもとで信仰生活を送りたくはないと考えるかもしれません。しかしわたしたちは自分の力で自分自身を癒すことができません。イエスは罪とは何のかかわりもないのにもかかわらず、そのわたしたちのために十字架の道を歩まれました。そのみ足の後をわずかであっても従うことはできます。いつも十字架のイエスがわたしたちと共に、わたしたちの中にいてくださるからです。(高橋牧師記)