闇の力に打ち勝つ
「しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」。 マタイによる福音書12.22-32

イエスの時代、病気は悪霊の仕業だと考えられていました。冒頭に「悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人」とある通りです。従って病がいやされるためには、悪霊を追い出さなくてはならない。そのために悪霊払いが、もっともらしい宗教とか信仰の名を借りて行われてもいました。人間は病という苦しみから解放されるためには、それこそわらをもつかむ思いで必死になるものです。病院で治療が思うように進まなければ、他の方法に頼ろうとするように。そこにさまざまな宗教という名を借りた「いやし」がはびこっていきます。それは2千年後の現代であっても同様ではないでしょうか。悪霊といった言葉こそ使わないかもしれませんが、放射能汚染といった風評被害、コロナウイルスといった目に見えないものに対する恐れ、それらは形こそ違え、人間の無知や迷信と無関係ではないでしょう。
この病める人がイエスのところへ連れて来られると、主はこの男をいやされました。彼はものが言え、目が見えるようになったのです。悪霊が出て行ったからです。人々は一様に驚きました。ここに悪霊が出て行った理由として、二つの反応が生まれました。一つはそれを目撃した群衆の言葉にあります。「この人はダビデの子ではないだろうか」と、イエスこそ自分たちが待ち望んでいる救い主ではないかと互いに言ったところにあります。それに対してもう一つ、当時の指導者でありイエスの論敵のファリサイ派の人々は違った見方をしていました。「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」というものです。つまりイエス自身が悪霊に取りつかれているのであって、この出来事は彼自身も悪霊の仲間であり、神に敵対した人物であることを証明しているというのです。イエスは悪霊の頭ベルゼブルにちがいないということです。それに対してイエスご自身はこのように語られました。「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」。悪霊によって悪霊を追い出したのではなく、反対に神の霊によってこの人をいやしたのだと言われたのでした。
イエスは悪霊によってではなく、神の力によって悪霊を駆逐された。そしてまさにその勝利が今実現したということは、神の国が到来したということでした。今は悪霊に支配された時代ではなく、神の霊が支配する時代なのです。確かに現在もこの世界には貧しさがあり争いがあります。また厳しい病があります。「人間の心は悪魔たちの住む場所である。わたしは自分の中に地獄を感じる時すらある」とある思想家は述べていますが、これは現代でも決して大げさではありません。しかしイエスがこの病める人をいやし、神の霊で悪霊を追い出したように、すでに神の勝利が実現した時をわたしたちは生きているのでもあります。今日でもさまざまな病があり苦難があります。またそれと共に迷信や偏見などがはびこり、いっそう重荷を負う者を苦しめることがあります。それでも「神の国はあなたたちのところに来ているのだ」と主イエスは言われ、わたしたちの重荷を迷信共々取り払ってくださいました。その救いによって、混乱でも分裂でもなく、一人の統一した人間へと主は回復してくださったのです。(高橋牧師記)

